こんばんは みなさまいかがお過ごしでしょうか
わたしは1つ前の記事のとおり、無事に誕生日を迎えました 周りの方々へ感謝感謝です
誕生日にはたくさんの連絡やプレゼントを頂戴し、中には直に届けてくれるという至れり尽くせり対応のお方までおりました 愛してもらってこの上ないしあわせ
2年くらい前から、その年のテーマを設けるようになりました とは言っても抱負的にこれと決めるのではなく、その年を過ごす中でぼんやりと浮かんできた単語、この言葉をそばに置いて過ごしておこう程度のいたって軽いテーマです
一昨日までの一年間のテーマは「拡張」でした 単純に自分の行動範囲を広げたり、フットワークを軽くすることに意識をもっていくこと、それと今まで視界には入っていても認識できていないものを認識できるよう努めるとか、そういったことです
実際に都内の寄席へ行ったり、出先で足を伸ばしてその土地の神仏にご挨拶をしたりしたので、なかなかに拡張できたのではと思う次第でございます
と、ここまでしあわせに十分感謝などをしたところで、もう少し甘えさせてもらいます ほんのり暗くも見えますが、意外とポジティブで前向きですのでご安心を
自分というか主観としては、正直こんなにも生き恥を晒し続けてきたのかと呆れることがそれなりにあります 個別具体的な物事や他者からの評価、事実がどうとかは本当にどうでもよくて、ただずっと自分に絡みついて、ほぼ一体化している感覚というものです 端的に言って苦しいです
その感覚に対して、最近諦められる頻度が増えてきた気がします 自分は自分のことを他者より劣っているとか恥ずかしい人間だと思うときがそこそこあるなぁみたいな でもそれが24時間365日じゃないなら、誕生日みたいに一旦でも置いておける日があるなら、苦しい感覚であろうとも無理に引っ剥がそうとしなくてもいっか、という諦めです 引っ剥がそうとする行為に対する執着を捨てるってことなんでしょうか、伝わるように言えていたらいいのだけれど
巷では自己肯定感を上がるためのスキルが求められているようだけれど、そんな時代の流れに倣うことができず、自己肯定感を積極的に上げられない自分がいることを認めることが(まだまともに受け入れるのは難しい)一番精神衛生にいいのではとの、ある意味での自己肯定が成立しているとの結論に達しました
まぁ実際問題こんなことはどうでもいいんです 他人からして重要なのは生きてるか死んでるか、職場からしたら働くことができるかできないかぐらいだもんで、わたしは生きて働きました 本日もめでたしめでたし
時間の向きは一方向なので、それに従って生きていたら前向きにならざるを得ないなぁなんて飛躍した考えを巡らせながらここらで締めたいと思います
乱文・長文大変に失礼いたしました ここまで読んでくださってありがたいです