思ったこととか書きます

言い訳とか理由づけとか思ったことを書くよ

夢の話

(時刻は深夜2時。部屋の電気は消したものの、なかなか寝付けずスマホをいじる)

明日は金曜日。土曜日の予定もないし、なんかちょっと突拍子もないことしてみたいな。最近ホテル泊まってないかも。ビジホでいいから泊まっちゃおかな!これ実行できたらえらいかも!

ちょっと遠いけど、遠すぎずな距離感ていうと…高崎辺りどうかな。ここなら駅近!2万1,800円の部屋か…1人で泊まるにはちょっと高いけど、まぁいいか!えいっ!予約!文明の利器に感謝!!

 

(時間がワープし、仕事も終わり20時)

やばい。もうこんな時間。こっから高崎まで行くのだるすぎる。絶対無理動けない。でも、キャンセル料当日だと100%だよな〜2万1,800円をドブに捨てるほうがもっと無理すぎる。

 

(結局深夜1時ちょい前くらいに高崎に着く)

なんだかんだこんな時間になっちゃった〜チェックインの締切もギリギリだし…待って1階の売店めちゃくちゃ充実してる…ビジホなのに旅館くらいのお土産コーナーあるんだけど!?これで24時間営業なんだ!?てかなんか学生さん多いな〜修学旅行なんかな…伝統工芸品もある〜可愛い〜これだったらもっと早く来ればよかったかも

 

(深夜3時 やっと部屋に入る)

売店で長居し過ぎわろた。寝るか〜〜

 

(朝6時 目が覚める)

なんか目が覚めた…朝ごはんでも食べるか…?

ちょっとレトロな定食風だ〜ハムエッグやばい 朝ごはんに目玉焼き食べるの世界一すきだ…

 

 

ここで本当に目が覚めました

起きたときの「今日は木曜日である」ことを認識した瞬間の愛しさと切なさと糸井重里が格別でした

読書感想文 「のに」について

 

さきの記事の締めくくりに、「次の記事ではそのプロップスについて書きたいと思う」などと言っておきながら、そうならないことについて、まずもって謝罪をしたい。

 

今日は相田みつをの『にんげんだもの』を読んだ。正確には彼が亡くなったあとに新版として出されたものらしいけれど、彼の作品の集まりであることに変わりはないので、細かいことは置いておく。

その中でも、「のに」という作品が印象深かった。「わたしはあの人に散々〇〇してやったのに」の「のに」だ。これを読んでくれている人の中にどれだけわたしと深くつきあい、理解をしてくれている人がいるかはわからないが、わたしの基本的な性格としては世話焼きだ。お節介ともいう。とにかく相手喜ばせたい、喜ぶ顔を見たい、そういうところがある。

ただ、そうやって相手に働きかける場合「のに」が出てくる前で止めなければいけないとも思っている。「あんなに〇〇してあげたのに…」と思いかけたときは自分が行き過ぎ、間違っていることを認識し、歯止めをかけるようにしている。相手への働きかけは、あくまでも自分が主体的に起こしている行動であることを常に忘れずにいたいけれど、なかなかそれも難しい。

いろいろ考えていたら、むしろわたしくらいの人間は相手に向かって「あれもこれもしてあげたじゃん!」と言わないだけでも大分マシな気もしてきた。理想と現実のギャップを埋めるのは難しいけれど、少しずつでも理想に近づけたらいいかなぁと思った。

 

というか、今はまだギャップがあったっていいんじゃないか?にんげんだもの

東京ディズニーリゾートがすきだという話

以下の文章は、わたしがひたすらに東京ディズニーリゾートがすきだという話だ。

ただ書きたいから書くという欲求に従った結果のものなので、これを読んでも「わたしの一部を知る」以上の何にもならないことをことわっておく。

 

小さい頃は年に一度、2泊3日で両パークへ連れて行ってもらっていた。それ以外の300日前後もパークの公式サイトを見たり、ガイドブックがぼろぼろになるまで読み込んでいた。そのおかげか、今でもパークの地図は大方頭に入っていて、まずもってトイレの場所に困ることはない。非常に便利だ。

当時のわたしの関心事と言えば、「どうやったら効率的に回れるか」ということで、そこを軸にひたすら戦略を練っていた。ショースケジュールや移動時間も含めて行動計画を立てるというひとり遊びをやったりもした。

高校生や大学生になってアルバイトをするようになると、パークへ行く頻度も幾分か高まった。毎回泊まりとはいかないけれど、わたしの狭くて深い友人関係の中には、幸いにもパークを好む人が複数いた。幼少期のひとり遊びの成果を遺憾無く発揮し、友人たちをそれなりに振り回したが、「楽しかった」「決めてくれてありがたい」と言ってくれていたので、その言葉を額面どおりに受け取っていた。(これは今でもそう)

社会人になると全体的にゆとりが増え、パークの楽しみ方が変わってきた。金銭面としては、アルバイトに比べて入ってくるお金が大きいのはもちろん、幼少期と違って細々したお土産を買う必要がなくなった。自分が気に入ったものと、家族や会う予定が決まっている友人の分だけ買うのはとても身軽だ。学生時代と比べるといささか体力に翳りは見えてきたものの、そこは有給休暇を使って混雑日を避けたり、近場のホテルに宿泊してから帰るという手段を取ることでカバーできた。

それに、友人との回り方も形が変わってきた。かつては朝の寒い中、暑い中、体力を削られつつも健気に入園ゲートに並んでいたが、今ではお昼からゆっくり入ったり、何ならパーク内で待ち合わせすることもあった。そういうときは、大抵1人で先にパークに入って写真を撮っている。完成された風景が美しいのは言うまでもないけれど、その風景を完成させるためのプロップス(小道具)を撮るのがすきなのだ。

アーント・ペグズ・ヴィレッジストアのペグおばさんの畑、ベッラ・ミンニ・コレクションのレジ部分にある香水がたくさん並んだ棚、S.S.コロンビア号付近にある石炭…それぞれに物語が宿っている。おしゃべりしながらだとつい見過ごしてしまいそうな(それもそれでプロップスとしての意義があると思うけれど)一つ一つものたちに意識的に目を向けることは、世界にもう一歩深く踏み込んだ気にさせてくれる。

 

こんな感じでそこそこ長くなってきた中で、次の記事ではそのプロップスについて書きたいと思う。

ずっと気になっていたけれど、なかなかインターネットでも目立った記事が見当たらず、周知の事実故に言うまでもないのか、はたまたわたしの解釈の甘さなのかと思っていたものがある。

では、一旦ここで。

長文をお読みいただいてありがとうございました。

映画を観て、そのあとぼんやり考えたこと

 

身代わり忠臣蔵を観てきた

 

母上はムロツヨシさんがすきで、まあわたしもすきなんだけど、どちらかというと忠臣蔵ってほうに惹かれて気になっていた映画

コミカルとシリアスのバランスが好みに合っていて、最後まで楽しく観ることができた

それはそれでよいとして

 

 

吉原に行くシーンがあって、わたしって視覚化された吉原を見るのがほぼ初めてかもということに気づいた

落語を聞くようになってから吉原という場所について耳にする機会が増えて、その中でぼんやりと雰囲気を想像はしていたものの、全体像のはっきりとしたイメージはあまりなくて

それに、今回見たものがどれだけ忠実なものかわからないけれど、こんな感じだったのかなぁっていう

 

大吉原展もやっているみたいだし、知るのにはいい機会かもなんて思ったりした

誰か誘おうかな あ、誘われたら行きます

からだに悪そうなものをすきになる

 

マニキュア、ヘアカラー、煙草、排気ガス

そこらへんの匂いがすき

 

決していい香りではないし、ヘアカラーのお薬なんて顔にガーゼを乗せられた途端匂いが充満してむせ返りそうになる

 

煙草も排気ガスも絶対からだによくないし、保健の授業でもそう習ったけど、それでも吸い込んでしまう

 

多分これからもこういうことは増えていくんだろうなーっておもった

やり場のない怒りについて

 

被害に遭っていない人のほうが珍しいほど、わたしの親しい友人たちがハラスメントに遭っている

そのことに対する怒りは前々からあって、でもやり場があるわけでもないし、自分が解決できるわけではないから、どうにかおさめるように努めていた

悲しいことに、最近またそういう話を耳にする機会が増えて、やっぱりおかしいよなと、ふざけんなよと思ってどうにもならなくなったので、誰かが見てるか見てないか、みたいなここに書くことにした

法律とか権利、そういうのが守られるべきなのはもちろんだけど、もっと荒削りな友達としての感情の部分を話すと思う

 

シンプルにブチギレ案件だ

彼等の人生において、仕事でしか関わりのないポッと出のお前が何してくれてんだよという、それに尽きる

まぁわたしもポッと出かもしらんけど、それでも学校やプライベートで丁寧に関係を構築して、大切に思って過ごしてきたという自負がある

 

彼らは仕事をしに職場へ行っているのであって、そこで最大限に力を発揮すべき存在であるはず

業務内容に書いていない、時には性的な要素も含んだご機嫌取りを求められて、思い描いたとおりの反応じゃなかったら不当に扱われて

何で自分の機嫌を自分で取れないお前の人生の不始末を他人(しかもわたしの大切な人)にやらせてるんだよと思う

 

希望を捨てず懸命に就活をしたり、研修や苦手な懇親会にも頑張って行っていたのを知っているから、本当にどうしようもなく怒れる

 

ハラスメントの話をするとき、自分の上司の子に言えないことやできないことはしないでおくべきとよく言われるけれど、上司の子でなくとも、その人を大切に思う人がいることを想像して行動できればいいのに どんな神経してんだろ

時々会社に親が乗り込んできて……みたいな話も耳にするけれど、手塩にかけて育ててきた子がそんな扱いをされたら黙ってられないと思う

 

 

 

とはいえ、ハラスメントをした側の精神状態も大分不安なものがある 人生で上手く回ってない部分があるんだろうなと

やっぱり他人にご機嫌取りを求めて、思いどおりにならないと不当に扱うのはどうかと思う

会ったこともない人だから心配までとはいかないけれど、異常性からもたらされる不安がある

 

 

細々言い始めたらキリがないから、大まかな怒りをどかんと置いたところで筆も一旦置く

ここまで読んでくれた人がいたら、聞いてくれて本当にありがとうございます

座右の銘について

 

あったらかっこよくない?座右の銘

気取った言い方だけど、そこがいい。

 

わたしには2つある。

1つ目は、巧詐は拙誠に如かず

何をきっかけに見つけたかは覚えていないけど、巧く詐る(偽る)ことは、拙くとも誠実であることには及ばないということ。これは他人と関わるときとか仕事するとき、外に向かった関係において心がけている。

細かいことでも違和感を抱いたら確認をすること、相手に心労をかけたり不安を抱かせないように最善を尽くすこと。まだまだ未熟だし、気づいていないことも多いと思うけれど、できる限りの誠意で向き合いたいと思っている。

 

2つ目は、桜梅桃李

これは歌詞から知った。かつてグレートフル・グレープフルーツというお芝居があって、その中でオーバイトーリのテーマという歌があった。そこから。YouTubeに上がっているから、できれば聴いてほしい。

ということで桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李であり、それぞれによいということ。これは主に自分の内面に向けてのもので、自分と他人をきちんと分けて考えるために心に留めているけど、なかなか実践は難しい。

人と比べること、うらやましいと思うことで成長することもあるけれど、今のところやっぱり「同世代と比べて何かがなんとなく足りない」自分に辟易することが割合的に多い。ここをもうちょっとがんばれたら、もうちょっと楽になれるかなぁ

 

ちなみに、縁李(ゆかり)という名前の漢字もここから派生している。縁はそのまま縁、人やものとのつながりなど全体を表していて、李は桜梅桃李のから取って個を表している。

 

こんなこと初めて言った。