本日2度目の更新 寝落ちする日もあればこういう日もあるということでお付き合いいただければと思います
主に友達などから優しいと褒めてもらうことがあり、嬉しいなぁなんて思うことがあります
何が優しさで何がそうでないかは人によりけり、あるいは状況にもよりけりですが、ベースとしては優しい人間であろうと思っているし、特に自分の手の届く範囲にいる人にはしあわせを感じてもらいたい、親切にしたいという意思があるからです
相手が優しくしてくれるから、それに対して誠意を持って付き合いたいというのもあります こちらの気持ちが伝わっていると思うといい心持ちになるのです
最近、癒されるという言葉をかけられたとき、今までの自分が想像していた以上に喜んでいるというか、胸に響いていることを自覚しました
これまでにも何度かそういった言葉をかけてもらい、もちろん喜びはあったのだけれど、より一段深いところで感じているということです
わたしは他者と関わるとき、安心感をかなり重要視しているみたいです(多分)
あなたとわたしのどちらもが怯えたり、萎縮しないでいられる関係を築きたくて、それができれば、たとえ会話に詰まってもお互い不安にならないでいられるねというような感じ
ちなみに、第三者の愚痴や悪口をあまり言わないのも、目の前の人を不安にさせたくない思いからです
というか、そもそも不満が生まれたのに伝えられない関係は無理が生じて長続きしない そんな問題を他の人に喋ることは、目の前の人が「自分もどこかで言われているのでは?」と不安な気持ち(マイナス)にさせるばかりで、プラスになることはないなぁと思っていて
強いて得られるプラスと言えば、言葉にすることによるカタルシス効果がやっとであって、それすらわたしの分だけのプラスにしかならないから、あまり意味を感じられないのです
(ここまで言っておいて、わたしが激烈な愚痴や悪口を言っていたのを聞いたという人には謝っておきたい)
ちょっと話が逸れたものの、ここで効いてくるのが癒しという言葉 感覚として、安心がないと癒しも成立しないんじゃないかと思います これ(この人)なら自分を害さない、責め立てたり追い詰めたりしないといったような安心があってこそ、人は心をゆるめられるのかなと思います
わたしとの交流の中でそういったことを感じてくれるのなら、それはとても嬉しいなと思う次第です というか、わたし自身が友達に何度も癒され助けられてきました ありがたい話です本当に
癒されると言われると嬉しいという話でした おしまい